紺邑

「紺邑」は、コンユウと読みます。
「紺」とはもちろん、藍染の出す色の典型。それは人類の文化の中で最も古い染ですから、私達は伝統工芸の代名詞としました。
「邑」とはムラと読むように、「人の集まり」を意味します。つまり、「紺」と「邑」を結ぶことにより、伝統工芸に人が集まるイメージを表した屋号なのです。そこには、藍を染めるだけではなく、伝統工芸を世に広め、そこに人々が集まり、日本の文化の継承に役立とういう、私達の願いが入っています。

 紺邑は、栃木県佐野市閑馬町という、水と空気がきれいで景色も美しく、文字通り閑かで長閑な山間にあります。里山に囲まれ、田や畑や梅林があり、四季折々にすてきな風景を見せてくれます。


代表メッセージ

CEO

 紺邑代表の染め師、大川公一と大川洋子です。

 二人ともそろそろ老年を迎えようとしています(入っているという噂もある)。
 ふと気が付いたことは、老い先そんなに長くないなということと、私達の藍染めは日本であまり例の無いもののようだということです。

 昨今、日本中の藍染め愛好家や染め師が紺邑にいらっしゃるようになり、日本の藍染めに関して、私の知らないことを沢山教えてくださるようになりました。それは残念ながら、藍染めに対して誤解ばかりだった。
 その誤解を放って置くという手もあり、解くという手もある。
 放って置けば、誤解が蔓延る。誤解を解くには、相当なエネルギーが要る。
 考えた末、出来るだけのことをして誤解を解くことにしました。それには正しい藍染(正藍染)を伝えることだと。

藍建て講習会

     講習会一期生

 技術を言語化することは難しいことでしたので、2年ほど伝える修行をして、2016年から「藍建て講習会」を開き、蒅(すくも)を灰汁だけで建てる伝統的な「本建て」を伝え始めました。現在、私の藍建てで染め液を作る人たちは、沖縄、北海道から海外にまで広がり、人数も百名を超える規模となっています。その中には全く藍染を知らなかった人もいれば、藍染や草木染めを30年以上なさっている作家や染め師など、多種多様です。講習生が100名を超えた時点で第二次とし、より充実した講習会になっていると思います。

・佐野藍復活プロジェクト

震災の年の5月、福島県双葉郡浪江町から佐野市に避難なさって来た老夫婦と、紺邑の前にある畑に藍草を植える事から、佐野藍の復活が始まりました。

 佐野市は江戸時代から、藍の盛んなところでした。藍草の栽培から蒅作り、蒅の販売から藍染め、そして藍甕づくりと、佐野だけで藍は完結をしていたほどですが、明治39年に滅びました。それを復活させ、新しい産業の創出と文化の継承を図るのが「佐野藍復活プロジェクト」です。

 私達の力など小さなものですが、尊敬する二宮尊徳は「積小為大」と言っています。小さな積み重ねが大きなものになるのだと。
 これからも、小さな力を積み重ね、日本に正藍染が残される努力をして行きたいと考えています。

会社沿革

1999年
足利市にあった父の工房「藍愛工房」から独立。佐野市に「紺邑」を立ち上げる。
2000年
紺邑を有限会社に。最初の展示会が日本橋三越本店と、恵まれたスタートを切ることができた。
その後も日本全国の有名百貨店に出展。
2008年
工房を佐野市閑馬町に新築・移転。
2012年
佐野藍復活プロジェクトを結成。佐野市の新しい産業の創出を目指す。
2016年
「藍建て講習会」を開催。正藍染が急激に日本に広がりつつある。